![](https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEj-JIeMKJ_pWnWYMjVA3cmEpvwOo38OJMHfSOpR3Kt7mqOBRSYlwNAj6c6h953CCDbSJlqId1LgjHpr2Gjp2YkvS7LMIHZftFLwALIcJRFcaIOQNU4mOYpJfrFWVe0F-LiMRr5ceS-tjCeW/s200/800px-Jaguar_XJR6.jpg)
![](https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEgGGpDr_dWXmbNR2JkH3CetjYLMX-A040sRID6cpH7L1CXZBO1-XLm9iinb0kwfkF89TZiy5RbNFhRkY8zylz57YdeaM9jC1g1GBQIliD_gtdtWYSkNp_FIEXXXd9knee2tttxkkaT_0eKg/s200/1987.jpg)
1987年、信頼性の向上とパワーアップを果たした、XJR8が登場。
エンジン開発担当のアラン・スコットはV12エンジンを、6.5ℓ(700馬力)から7ℓ(730馬力)にアップ。WSPC(世界スポーツプロトタイプ選手権)シリーズでは、開幕戦から4連勝、好調を維持してXJR8-LMでルマン24hレースに挑戦しましたが、5位に留まりました。しかしながら、WSPCシリーズでは、チャンピオンを獲得しています。
1988年、ウォーキンショーがイーガンにルマン24hレースの勝利を約束した年でした。XJR8をさらに改良した、XJR9が登場。ルマン7連勝中のポルシェは、6速ミッション、3ℓターボの962Cを持ち込みましたが、スポンサーカラーの、赤、黄、黒、のドイツ国旗そのもののカラーリングのマシンでした。
ルマン史上稀に見る激戦の末、ヤン・ラマース、アンディ・ウォレス、ジョニー・ダンフリーズのNo、2のXJR9-LMが31年ぶりにジャガーに勝利をもたらしました。
XJR10~XJR12は、スペースの都合上、省略いたします。
最後に、XJR14。
1991年WSPCはレギュレーションを変更。エンジン形式を自然吸気3500ccに統一することになりました。選手権名もSWC(スポーツカー世界選手権)に変更。各チームのデザイナーは、「トルクが半分でその代わり車重が150kg軽いグループCカー」と考えましたが、XJR14のチーフデザイナー、ロス・ブラウンは、「車重が250kg重い代わり、空力的なボディを備えたウィングカーのF1」と解釈。周囲からは、「スポーツカーの皮を被ったF1」との異名をとり、当時「すべてのライバル車を時代遅れにさせた」とも言われました。エンジンはコスワースHB。第2戦モンツァのフリー走行では、半年前のF1イタリアGPでアイルトン・セナが記録したコースレコードに迫るラップタイムを記録。1991年SWCのチームタイトルを獲得しています。少し昔の話でした・・・。
![](https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEh7rb0JPFEcw_cUapDu2sKxniESSoza5P3243nBRXT4jLydmpy2HsSNVc04SWo4vCKjwkQuz4iyx6MvZ9Q0822z5cv-Q_2ob-RtohtzHLtTxa6fUpqVIM7Y8BwdjJuSipipsfbKISKUPE-p/s320/xjr14_silverstone_05.jpg)