1984年ジョン・イーガン、ジャガー社会長は、イギリスのトム・ウォーキンショーレーシング(TWR)にワークス活動を依頼。その1号車がこのXJR6です。デザイナーは、トニー・サウスゲート。デビューは、1985年WEC(世界耐久選手権)第6戦モスポート(カナダ)。いきなり3位入賞。翌年は、XJR6-86に進化。シルクカットがスポンサーに付き、「シルクカット・ジャガー」名でルマン24hに参戦。残念ながら、すべてリタイアとなってしまいました。
1987年、信頼性の向上とパワーアップを果たした、XJR8が登場。
エンジン開発担当のアラン・スコットはV12エンジンを、6.5ℓ(700馬力)から7ℓ(730馬力)にアップ。WSPC(世界スポーツプロトタイプ選手権)シリーズでは、開幕戦から4連勝、好調を維持してXJR8-LMでルマン24hレースに挑戦しましたが、5位に留まりました。しかしながら、WSPCシリーズでは、チャンピオンを獲得しています。
1988年、ウォーキンショーがイーガンにルマン24hレースの勝利を約束した年でした。XJR8をさらに改良した、XJR9が登場。ルマン7連勝中のポルシェは、6速ミッション、3ℓターボの962Cを持ち込みましたが、スポンサーカラーの、赤、黄、黒、のドイツ国旗そのもののカラーリングのマシンでした。
ルマン史上稀に見る激戦の末、ヤン・ラマース、アンディ・ウォレス、ジョニー・ダンフリーズのNo、2のXJR9-LMが31年ぶりにジャガーに勝利をもたらしました。
XJR10~XJR12は、スペースの都合上、省略いたします。
最後に、XJR14。
1991年WSPCはレギュレーションを変更。エンジン形式を自然吸気3500ccに統一することになりました。選手権名もSWC(スポーツカー世界選手権)に変更。各チームのデザイナーは、「トルクが半分でその代わり車重が150kg軽いグループCカー」と考えましたが、XJR14のチーフデザイナー、ロス・ブラウンは、「車重が250kg重い代わり、空力的なボディを備えたウィングカーのF1」と解釈。周囲からは、「スポーツカーの皮を被ったF1」との異名をとり、当時「すべてのライバル車を時代遅れにさせた」とも言われました。エンジンはコスワースHB。第2戦モンツァのフリー走行では、半年前のF1イタリアGPでアイルトン・セナが記録したコースレコードに迫るラップタイムを記録。1991年SWCのチームタイトルを獲得しています。少し昔の話でした・・・。
1991年WSPCはレギュレーションを変更。エンジン形式を自然吸気3500ccに統一することになりました。選手権名もSWC(スポーツカー世界選手権)に変更。各チームのデザイナーは、「トルクが半分でその代わり車重が150kg軽いグループCカー」と考えましたが、XJR14のチーフデザイナー、ロス・ブラウンは、「車重が250kg重い代わり、空力的なボディを備えたウィングカーのF1」と解釈。周囲からは、「スポーツカーの皮を被ったF1」との異名をとり、当時「すべてのライバル車を時代遅れにさせた」とも言われました。エンジンはコスワースHB。第2戦モンツァのフリー走行では、半年前のF1イタリアGPでアイルトン・セナが記録したコースレコードに迫るラップタイムを記録。1991年SWCのチームタイトルを獲得しています。少し昔の話でした・・・。